仲間と歩く、あみいの日記☆

双極性障害あみいのひとりごと~

双極性障害・精神科に勤めていた頃

看護師であり患者でもあること

 

以前精神科に勤めていたことがありました。

閉鎖病棟でした。

一日通して患者さんの看護をしていました。

 

いろんな患者さんがおられますが

ずっと観察していて思ったことはやっぱり

自分と重なるところが多々あるなぁと思ったことです。

 

閉鎖病棟に入院されているからと言っての偏見はもちろんありません。

それなりの理由があって入院されているとは思いますが

看護師として、自分も精神疾患を患っている者として

私的に改めて思ったことは、患者さんは精神疾患を患っているけれど健常の部分ももちろんあるということです。

 

それは当然のことだとは思うのですが精神科の看護師はそういう部分は目に入ってないように感じました。疾患の部分だけを見ている感じ。

 

日常生活を一日観察していて、私は「ああ、自分もこういうことあるある」ということはあったけど、看護師は健常なので(中には精神疾患を持っている方もおられたかも知れないけど)

他の診療科に比べて、患者さんに対して上から目線の方が多かった印象でした。

医療の現場でも偏見らしきものがあるのかなぁと少々感じました。

 

でも基本的に、看護師と患者さんの間で

どっちが上とか下とかって絶対にあったらいけないことだと思います。

 

ちなみに自分と重なるなぁと思った部分は

清潔が保てないこと

特にうつがひどい時はお風呂に入れないこと、入りたくないこと

食欲がないというより、食べることが億劫なこと

気分の落ち込み、元気がないこと、好きなことに興味がなくなることなど

 

自分と同じ部分をみると、それでも何とか頑張ってい患者さんを見ると、すごいなぁと思いました。なんだか励まされていました。

 

状態が良くなっていく患者さんは、看ているとすぐに分かります。

やはり自分が調子が良く改善していくときと同じように映るからです。

 

そんな患者さんがやがて退院されていくのを見ると心から嬉しく思います。

 

私はクローズで働いていたので、先輩看護師に

「患者さんの気持ちわかる」とは言えなかったけど

心の中ではいつも

「わかるわかるその気持ちわかるよ」

そう思いながら患者さんに接していました。

 

看護師の勤務の事情や時間の配分で

どうしても患者さんをせかしてしまうこともあったので

これじゃあ患者さんかわいそう・・・なんて思うこともしばしばあったけど、上に言える立場でもなく(>_<)

 

でも私的には、自分も精神疾患を患っているので余計に

また勤めたいと思ってしまいます。

自分の体験から、患者さんの気持ちに寄り添う看護ができたらなぁと思います(●・ω・●) 

 

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看護師への道4 卒業

実習クリア☆

春が来て、留年した私は一学年下のクラスに入り、同じクラスで留年した子たちと混じって新たな新学期が始まる。

 

今回のクラスもとてもいいクラスだった。みんな優しかった。

実習のグループも、クラス全体も、一学年の時と同じようにみんなが一つになっていた。

実習が始まると泣いている子もちらほら。看護記録を提出しても提出してもOKが出ない時がある。心が折れそうになる。

 

それでも諦めるわけにはいかなかった。

私は入院していて取得できなかった実習科目の単位と少しの学課をクリアするために必死だった。

 

やがて12月が来て実習も無事終えることができた。

やっと髪色も茶髪に戻せる(笑)メイクもできる!

あとは国試へのラストスパートだ。

 国家試験☆

 

やっとここまでたどり着くことができた。

 

12月半ばからは模試ばかりの日々が続く。

冬休みもほとんど出かけないで家の中で缶詰状態。

 

国試の分厚い問題集を何度も何度も解いていく。

たまに出かけるときがあっても小さな問題集を持っていく。

 

そんな日々が続いてあっという間に二月がきた。

国試の日がやってきた。

不思議とそんなに焦りはなかった。

出来る限り十分やってきた。

 

国試は隣の県の大学で行われる。

前日に近くのホテルに泊まって試験に臨む。

私は少し問題集を眺めて

夜は早めに寝た。友達はドラマを見ていた(笑)

 

当日の会場はいろんな県から学生さんや社会人の方が来ていた。試験は午前、午後に分けて一日かけて行われる。

あの時の緊張感は今でも覚えてる。

午前終わった後、みんなで話し合う。

「どーだった?どーだった?」

他の学校の学生たちの中にはすでに泣いている子もいて

少々焦ったけど、無事試験を終えた。

 

帰りのバスの中、みんなすぐに携帯で答え合わせを始める。

各教材の会社から国試の解答の速報がでる。

 

泣いてる子もいれば、飛び上がってる子もいる。

そこの答えが確実というわけではないけど、何とかクリアできた気がした。

 

国試の合格発表は一か月後。卒業式の後。

 

もう開き直っていた。

次は卒業式の準備をしないといけない。

卒業式の袴の予約をする(#^.^#)

 

就職先も決まっていたし、楽しみでいっぱい。

卒業☆

いよいよ卒業のとき。

式ではみんなが泣いていた。

謝恩会では先生たちと一緒にお酒をのんだ。

ここまで長かった。

遠回りしたけど、いい経験になったと思う。

ここまで支えてくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱい。

 

三月、国試の結果はネットで確認した。

自分の番号を確認したとき、ちょうど友達からメールが来た。

「〇〇ちゃん番号あったね!!」

嬉しいというか、ほっとした感じ。

 

「これで晴れて正看護師として働くことができる。」

 いろいろ走り抜けた三年間だった。

 

以上が私が看護師になるまでの記録でした。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました (*^▽^*)   

  


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看護師への道3

リハビリ生活☆

 

前回の続きです(*・∀・*)

 

骨折の手術後から少しして

早速リハビリが始まるということで

自分の腕に合った装具を作ることになった。

 

色はなんと赤!目立つ(笑)

 

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右手くびは単純骨折だったのでギブスも外れて装具はなしで大丈夫になった。右手は軽くなった。

問題は左腕。肘の部分。粉砕骨折だったからリハビリにも時間がかかる。

担当の理学療法士さんは少し年下の可愛い女性の方。

 

リハビリは日曜以外は毎日行う。

最初は腕を動かすこと、曲げることの恐ろしさと痛みでびくびくしていたけど、

主治医のT川先生から「動かさないとどんどん固まっていく」と聞いて

ベッド上でも積極的にリハビリをするようにした。

この先看護師として働けないと困るから頑張らないと!って。

 

リハビリの期間は最高でも半年だと聞いた。

それくらいがタイムリミットだって。

 

私は考えた。この年に取れる単位だけでも取っておこう。

なるべく早く退院しようって。

 

二か月間の入院生活を送り、私は主治医に退院の許可願いを申し出た。

腕はだいぶん曲がるようになった。

主治医は「もう少しここでリハビリしよう。」と言ったけど

私は一刻も早く退院したかったので、学校の近くの整形外科に紹介状を書いてもらい、そこで受診、リハビリできるようにしてもらった。

 

退院が決まり、私はウキウキしていた。

やっとみんなに会える。

 

主治医から「装具はまだまだつけておかないといけないよ」

形成の先生には「鼻の下のテープはしばらく付けたままにしないとだめだよ。少しでも傷が薄くなるように」と言われた。

 

「え?まだ外せないの?装具したまま実習できるのかな」

「鼻の下のテープ、これしたまま電車に乗るのか・・・」

そう思いながら

病室の患者さんにご挨拶をして、私は退院した。

実習の日々☆

 

退院してからも主治医から言われたことを守り

退院後初めての学校の日、私は真っ赤な装具と鼻下テープをつけて、電車に乗った。かなり目立っていて周りの視線が一気に集まった。「あー恥ずかしいー!」

 

でもそれ以上に、教室のドアを開けることにすごく勇気が・・・

こんな姿だし、恥ずかしすぎる。

 

でも勇気を出して、教室のドアを開けたの。「ガラガラ」・・

少しうつ向いていたらすぐに男友達が大きな声で

「おはよーーー!!!」って。

びっくりした。

そしたらみんなが「おはよー〇〇ちゃん大丈夫?おかえりー」って寄ってきた。涙がでそうだった。

 

なんていいクラスなんだろう。このクラスでよかった。

 

教員の先生たちも笑顔で迎えてくれた。

「遠回りすることになるけど、でも、患者さんの気持ちがわかったでしょう?」って。

確かに入院してあんな不自由な生活を送らなければ、患者さんの気持ちは分からなかったと思う。

 

ほんのちょっとのことでも看護師さんに助けてほしい。

でも度々は呼べない。小さなことでも、患者さんは我慢してるんだなぁ。すごくよく分かった。

 

実習は入院していた分の実習科目以外は、装具をつけたままみんなと一緒に出られることになった。

一緒には卒業できないけど、残りの時間一緒に頑張りたい。

 

実習は準看の時のとは次元が違った。

実習先は大きな総合病院。看護師さん達は当たり前のように厳しかった。挨拶しても返してもらえないことはしばしば(。-ω-。;)

  

準看の資格があので、許されるケアは全て行う。

一つ一つが監視され採点される。

 

月曜から金曜まで寝る時間はない。

眠れるのは金曜の夜。それまでは眠れない。

私は夜子供を寝かしつけてから

それから看護記録を書くから時間がぎりぎりだった。

 

記録を書くのに必要なのは資料。ネットも許可されていた。

資料が足りない時は参考書を買いに走る。

学校の図書館へこもる。

 

それでも準看のときと同様

諦めようと思ったことは一度もない。

 

とにかく単位を落とさないようにしないと

国家試験を受けることができない。

 

実習が終わった後は整形外科に通う。

気さくでとても優しい先生だった。リハビリをして、終わり次第電車で自宅へ帰る。

 

やがて装具は外してよいとの許可が出て、リハビリも終了した。完全には戻らなかった腕だったけど、仕事には支障はなさそうだった。

 

やがてみんなはめでたく卒業していった。

 

寂しかったけど、卒業、おめでとう(*´ー`*)

 

 
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看護師への道2

 入院生活☆

 

入院してから腕の手術をするまでに一週間かかった。

私はその間、学校に行けないこと、実習に出られないこと

そのことがショックすぎてふさぎ込んでいた。

割り切ればいいのに、悔しくて泣いてばかりいた。

 

私は混合病棟にいた。

 

そんな時、あの日運ばれたときに全身を診てくれた外科のM上先生が朝、私のベッドサイドに訪れた。

何を話されたかは覚えていない。

でも一言二言、椅子に座って話をして去っていった。

 

私は何も喋れなかった。

 

それからM上先生は毎朝同じ時間にベッドサイドに来ようになった。私は相変わらず何も喋れない。いつまでもふさぎ込んだまま。それでもM上先生は毎朝現れて私の横に座っては話をして去っていく。

 

それから間もなく手術を受け、

私は整形外科の病棟へ移った。

 

両腕手術後、両腕は固定されていて何も出来ない。不便でたまらない。

顔はペタペタとガーゼが貼られていて、縫合した唇の上にもテープが貼られている。悲惨な姿・・・(泣)

 

変わらずM上先生は毎朝ベッドサイドに訪れる。

術後の痛みと何も出来ない辛さと実習に出れなかった悔しさで

相変わらず私は何も喋れなかった。母親が頭を下げていた。

 

母親は仕事をしていたので日中は誰もいない。

ナースコールも自分で押せない。

 

でも整形外科の病棟、私は四人部屋にいたのだけど

前の病棟とは違い、部屋の患者さんはみんなベットサイドのカーテンを開けてオープンにしていた。私もカーテンを開けていた。病室がとても明るかった。

 

周りの患者さんが私を見守っていてくれた。

点滴がなくなるとき、看護師さんを呼んでほしい時、いつでも助けてくれる。

 

そんな日々が続き、少しずつ私の心が明るくなった。

同室の患者さんと仲良く話すようになった。

足は歩けるので、トイレにも行けるように。(下着を下げることができないからそこは看護師さんに手伝ってもらうけど・・・)

 

そして毎朝訪れるM上先生とも話せるようになった。

私に笑顔が戻った。学校のことも、もう留年の覚悟ができた。

 

そして土日、クラスの友達がお見舞いに来てくれる。

クラスのみんなからプレゼントが届いた。

嬉しかった。

 

みんな実習で忙しいのに、仲のいい子たちは毎週のようにお見舞いに来てくれた。トイレ介助や食事介助をしてくれた。

 

男友達が「洗髪の練習させて!」と言って髪を洗ってくれた。

感謝の気持ちでいっぱい。

 

親友や後輩も訪れてくれた。友達のありがたみを身に染みて感じた日々だった。

 

それから徐々に傷口は回復、次なる試練はリハビリ!

 

まだまだ入院生活は続く(@゜m゜@)

   

 

 


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看護師への道

新たな始まり☆

父の死から数年がたち

私は子供を出産し

子供が三歳になったころ

私は正看護師の資格をとるため

全日制の看護学校へ入学した。

準看護師の資格を持った人たちが入る看護学科へ。

 

年齢層は幅広く、私は中間くらいの年齢。

二年間の学生生活。感覚としては大学のような感じ?

一学年の時は学課のみ。自由で楽しく充実した日々。

笑顔に溢れた毎日だった。

 

特に楽しかったのは体育祭や学園祭。

青春な時間だった。

 

学課の単位を落とさないようにテスト週間はビクビクな日々。

再々試を落とすと単位を落とし留年になる。

準看時代と同じように、子供を寝かしつけた後にテスト勉強や課題を済ませていた。

 

再試代一回2000円。高い(泣)

 

進級するのは大変だった。

自然と互いが助け合う日々。

 

最初はバラバラだったクラスの中も

二学年に上がるときには一つになっていた。

気付けばみんなが仲良しだった。

 

春が来て、

二学年に進級したとともに私は元旦那さんとは別々の道を歩むと決め、子供を連れて実家へ帰った。

 

それから

学校までの電車通学が始まった。

家から駅までは自転車での移動だった。

まさかのハプニング☆

 

四月の半ば。

次週から実習が始まる時。

 

その日、

駅から帰宅するとき私は本屋に寄った。

いつもと違う道を通った。

 

もう夜になっていて辺りは暗かった。

自転車は無灯火。知らない道だった。

 

そこに川があるとは分からなかった。

見えなかった。

 

本屋からいつもの道まで出ようとしたその時

 

私は自転車ごと川に転落した。

そこは道じゃなく川だった。

深くて大きな川だった。

 

しばらく気を失っていたんだと思う。

痛さで気が付いた。

水はあまりなく、自転車は離れたところに飛んでいた。

 

すぐに川に落ちたと理解した。

立ち上がることはできたけど両腕が痛かった。

歩いて階段を探したけど無かった。

でも上がれるような高さじゃない。

 

カバンはどこかへ飛んでいて無い。

幸いなことに携帯はパーカーのポッケに入れていたから

痛い手で携帯から母親に電話をかけた。

 

「川に落ちた!すぐに迎えに来て!!」

 

母親と息子が慌てて迎えにきた。

でも川が深くて私を引き上げられなかった。

 

すぐに救急車を呼んで、はしご車も来て

私は市内の一番大きな病院へ運ばれた。

 

救急センターでの処置が始まった。

私の周りにたくさんの医師や看護師が集まってきた。

その時は、自分の体がどうなっているのか分からなかった。

 

全身泥だらけ、とにかく顔と両腕が痛かった。

 

どうやら顔から落ちたらしく、顔面に多くの傷が。

両腕は骨折していた。

 

足や頭は奇跡的にも無事だった。

 

診断は

顔の傷は唇に一部残るくらい。

右手は単純骨折、左腕は粉砕骨折だから手術しないといけないとのこと。

 

すぐに学校のことが頭に浮かんだ。

来週から実習。今入院なんてできない。

 

「入院したくないです。」

そう言ったのを今も覚えてる。

 

その時にいた整形外科の医師がのちに私の主治医となるT川先生。

全身を診てくれたのは外科のM上先生。

唇の縫合をしてくれたのは形成外科のR先生。

 

整形外科のT川先生に

「来週から実習があるので入院したくないです。嫌です」

そう言った。

するとT川先生は、はっきりと言った。

「手術するかしないかは患者さんの自由だから。こちらは強制しないけど、でも手術しないとその腕、一生使い物にならないよ」

 

絶望感でいっぱい。

 

それじゃあ看護師の仕事できないじゃん。

 

私は泣く泣く手術することに同意。

その日から入院生活が始まった。

 

長い長い遠回りが始まった。

 

  


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看護師になったきっかけ2

大好きな父

私は父が大好きだった。

一人っ子だった私を父は溺愛していた。

 

「大人になったら一緒に酒を飲もう」

よくそう言っていた。

父はどこに行くにも私を連れて行っては

「今日は姫とデートなんだ」

嬉しそうにそう言っていた。

 

私は大人になり、准看護師の資格を取り

働くことにも遊ぶことにも楽しかった時期。

私は父とは別に暮らしていた。

 

そんなとき父が

「最近やたらと黄色い痰が出るんだがどうだ?」

と電話してきた。

私は「血痰じゃないんだから大丈夫なんじゃない?」

と答えた。

 

何も考えてなかった。

あの頃の私は

友達や彼氏と遊ぶことに夢中で

そんな父の言葉を軽く流してしまった。

 

あの時私が気づいていたら

あの頃に戻れたら・・・

タイムマシーンがあったら

と今でも悔やむ。

決意のとき 

やがて私の結婚が決まって

父に報告したとき

嬉しそうに婚約指輪を見せたとき

 

父が言った。

「肺がんになった。余命三か月だ」

あっさりと。

 

私は固まった。

 

あのワンシーンが一瞬にして蘇った。

「黄色い痰が出るんだが・・・」のあのシーンが。

 

私は

泣くのをこらえて

父に涙を見せないように

 

すぐに自宅に帰った。

自室へ走って泣きながら学生時代のテキストをめくった。

 

「私のせい。」

「あの時私が気づかなかったから。」

「知識がなかったから。足りなかったから。」

私は取り乱していた。

 

父は入退院を繰り返し

そして

一般病棟から

緩和ケア病棟へ移った。

 

あんなに大きくて強かった父。

だんだん小さく弱弱しくなっていく。

 

泊りで看病していた時は、

「寒くないか?」と気遣ってくれた。

自分の方が大変なのにね。

 

父は最期まで頑張った。

弱音を吐かず、文句も言わず。

 

たまに涙を流していた。

私は何も言えなかった。涙を拭くことしか。

 

一年半の闘病の末、父は天国へ旅立った。

 

父が私に宛てた手紙を

父が亡くなった後、祖母が渡してくれた。

涙で歪んだ文字。

 

どんな思いでこの手紙を書いたんだろう。

涙が止まらなかった。

 

辛いとき苦しとき

今でもその手紙を読み返す。

お守りの手紙。

 

なんで死んでしまったんだろう。

なんでここに居ないのさ。

漠然と思う。

 

この悲しみは何なんだろうね。

この世にこんなに辛いことがあるんだと

生まれて初めて知ったときだった。

 

元旦那さんは「お前のせいじゃないよ」

と言ってくれたけど

病気の兆候を知っていたのは私だけ。

 

あのとき私が気づいていたら、

今も父はここに居たのかもしれないのに。

 

「これ以上大事な人を失うのは嫌だ。

まだまだ知識を積んで看護師になって

家族や大事な人を守りたい。」

 

看護師になるきっかけは人それぞれだけど

私にはそんな決定的なきっかけがあった。

 

大切な人を守れなかったこと。

大好きな父を失ったこと。

 

その後悔が私を動かした。

 

私は看護師になると決めた。

父の自慢の娘になると決めた。 

 

 

 
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不育症・私が子供に出会うまで6

こんにちは、赤ちゃん 

 

初めて命を授かってから

 

4年の間

 

私は何度も母になった。

  

その間一度も、赤ちゃんには会えなかったけど

 

それでも私は母だった。

 

この度わたしのお腹を選んでくれた我が子は

男の子。

 

かかりつけの産婦人科の先生と

スタッフのみなさんに支えられ

 

いよいよその日が来た。

赤ちゃんに会える日。

 

帝王切開の前日

入院。

  

私のお腹に赤ちゃんがいること

私のお腹で赤ちゃんが育ってくれたこと

一緒にここまでがんばってくれたこと

 

産む前から

ありがとうの気持ちでいっぱい。

 

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見納めに撮っておいたお腹。腹囲100センチ☆

 

翌日の昼一番に

 

私は分娩室ではなく

手術室へむかった。

 

この病院ではお産の時、赤ちゃんの誕生とともに

「こんにちは、赤ちゃん」

の歌が院内中に流れるようになっていて

 

元旦那さんも両親も、

「あの歌が流れたら産まれたってことね」

と待機していた。

 

ベッド上で

腰椎麻酔ののち

 

看護師さんが私の両側に立ち、

私の腕を抑えた。

怖かった。

 

「大丈夫よ。」といってほほ笑んでくれたのは

優しい顔の助産師さん。

 

麻酔が効いてきて、メスが入った。

その時、ヒリッとしてびっくりして、

「麻酔効いてないです!!!」って叫んでしまった。

 

先生が麻酔の追加をして、

「もうこれで大丈夫だからね」といって、

わたしのお腹の中に手を入れた。

  

なんていうか、

内臓が押し上げられるように

圧迫されて息苦しくて

 

怖かったけど

 

5分後、お腹の奥から赤ちゃんが出てきた。

  

「こんにちは、赤ちゃん」の歌が流れた。

 

赤ちゃんの産声が響いて

 

「お母さん~赤ちゃん出てきたよ見てごらん」

って言われたけど

涙でぼやけて、よく見えない。

 

それでも一生懸命目を開けて赤ちゃんを見た時

 

私は声を出して泣いてしまった。

  

その時私は産まれて初めて、

世界で一番綺麗な涙を流したの。

この世にこんな幸せがあるなんて

知らなかった。

 

 

その後のお腹の縫合は

眠ってしまってよく覚えていない。

 

帝王切開のため、赤ちゃんはいったん保育器に入った。

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本当の本当に

赤ちゃんがお腹からでてきた。

 

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守るべきものができた日。


やっとやっと赤ちゃんに会えた。

なんてかわいいんだろう。 

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なんてちっちゃいんだろう。

 

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君の上にはお兄ちゃんかお姉ちゃんがたくさんいたんだよ。

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私を選んでくれた子供に感謝してる。

  

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これ以上ない幸せをくれて

ありがとうって言いたい。

 

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そのうち
くそババアって、

言ってもいいよ。

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以上が私の

不育症だった時の記録でした。

 

女性だからって

子供を授かることは普通なわけじゃなく

子供を無事に産めるのも普通なわけじゃない。

 

妊娠も、出産も

その一つ一つが大きな奇跡なんだと心から思う。

産まれてくる赤ちゃんたちはみんな

「奇跡の子」

 

たった今もどこかで

そんな奇跡が起きているのかな☆

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました(*´ー`*)

 

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