看護師への道3
リハビリ生活☆
前回の続きです(*・∀・*)
骨折の手術後から少しして
早速リハビリが始まるということで
自分の腕に合った装具を作ることになった。
色はなんと赤!目立つ(笑)
右手くびは単純骨折だったのでギブスも外れて装具はなしで大丈夫になった。右手は軽くなった。
問題は左腕。肘の部分。粉砕骨折だったからリハビリにも時間がかかる。
担当の理学療法士さんは少し年下の可愛い女性の方。
リハビリは日曜以外は毎日行う。
最初は腕を動かすこと、曲げることの恐ろしさと痛みでびくびくしていたけど、
主治医のT川先生から「動かさないとどんどん固まっていく」と聞いて
ベッド上でも積極的にリハビリをするようにした。
この先看護師として働けないと困るから頑張らないと!って。
リハビリの期間は最高でも半年だと聞いた。
それくらいがタイムリミットだって。
私は考えた。この年に取れる単位だけでも取っておこう。
なるべく早く退院しようって。
二か月間の入院生活を送り、私は主治医に退院の許可願いを申し出た。
腕はだいぶん曲がるようになった。
主治医は「もう少しここでリハビリしよう。」と言ったけど
私は一刻も早く退院したかったので、学校の近くの整形外科に紹介状を書いてもらい、そこで受診、リハビリできるようにしてもらった。
退院が決まり、私はウキウキしていた。
やっとみんなに会える。
主治医から「装具はまだまだつけておかないといけないよ」
形成の先生には「鼻の下のテープはしばらく付けたままにしないとだめだよ。少しでも傷が薄くなるように」と言われた。
「え?まだ外せないの?装具したまま実習できるのかな」
「鼻の下のテープ、これしたまま電車に乗るのか・・・」
そう思いながら
病室の患者さんにご挨拶をして、私は退院した。
実習の日々☆
退院してからも主治医から言われたことを守り
退院後初めての学校の日、私は真っ赤な装具と鼻下テープをつけて、電車に乗った。かなり目立っていて周りの視線が一気に集まった。「あー恥ずかしいー!」
でもそれ以上に、教室のドアを開けることにすごく勇気が・・・
こんな姿だし、恥ずかしすぎる。
でも勇気を出して、教室のドアを開けたの。「ガラガラ」・・
少しうつ向いていたらすぐに男友達が大きな声で
「おはよーーー!!!」って。
びっくりした。
そしたらみんなが「おはよー〇〇ちゃん大丈夫?おかえりー」って寄ってきた。涙がでそうだった。
なんていいクラスなんだろう。このクラスでよかった。
教員の先生たちも笑顔で迎えてくれた。
「遠回りすることになるけど、でも、患者さんの気持ちがわかったでしょう?」って。
確かに入院してあんな不自由な生活を送らなければ、患者さんの気持ちは分からなかったと思う。
ほんのちょっとのことでも看護師さんに助けてほしい。
でも度々は呼べない。小さなことでも、患者さんは我慢してるんだなぁ。すごくよく分かった。
実習は入院していた分の実習科目以外は、装具をつけたままみんなと一緒に出られることになった。
一緒には卒業できないけど、残りの時間一緒に頑張りたい。
実習は準看の時のとは次元が違った。
実習先は大きな総合病院。看護師さん達は当たり前のように厳しかった。挨拶しても返してもらえないことはしばしば(。-ω-。;)
準看の資格があので、許されるケアは全て行う。
一つ一つが監視され採点される。
月曜から金曜まで寝る時間はない。
眠れるのは金曜の夜。それまでは眠れない。
私は夜子供を寝かしつけてから
それから看護記録を書くから時間がぎりぎりだった。
記録を書くのに必要なのは資料。ネットも許可されていた。
資料が足りない時は参考書を買いに走る。
学校の図書館へこもる。
それでも準看のときと同様
諦めようと思ったことは一度もない。
とにかく単位を落とさないようにしないと
国家試験を受けることができない。
実習が終わった後は整形外科に通う。
気さくでとても優しい先生だった。リハビリをして、終わり次第電車で自宅へ帰る。
やがて装具は外してよいとの許可が出て、リハビリも終了した。完全には戻らなかった腕だったけど、仕事には支障はなさそうだった。
やがてみんなはめでたく卒業していった。
寂しかったけど、卒業、おめでとう(*´ー`*)