仲間と歩く、あみいの日記☆

双極性障害あみいのひとりごと~

不育症・私が子供に出会うまで3

不育症と引きこもり

 

 

我が子に出会うことはごく普通に、誰にでもできることじゃな

い。 

  

それまでの私の人生で一番のハードルの高さでした。

   

でも子供に会うための治療の痛みも、通院の大変さも、それにか

かる費用も

ちっとも苦にはなりませんでした。

 


それよりもずっと辛かったことは死産の後の、

家の外から聞こえる子供たちの声。

 
私は引きこもりました。日中は外に出られなかった。

 
元旦那さんの職場の社宅に住んでいたんだけど

毎日外では子供を遊ばせるママさんたちの声や子供たちの声

赤ちゃんの泣き声が・・・

 
耳をふさいでも聞こえてくる。

 
同じ社宅の友人は

「〇〇ちゃんも出てきなよー。」とメールをくれる。

でも、出れなかったんですよ。

 
「〇〇ちゃんなんかより辛い思いしている人はたくさんいるんだよ」

って励ましてくれたけど

  

解ってるけど

  

どうしても無理で、、

ママや子供たちが外から居なくなるのを待って

夕方買い物に出ていました。

 

不妊の方や、不妊治療中の方にはわかると思いますが

町で見る妊婦さんや、赤ちゃん、子供連れの家族を見るのが

本当に苦痛でした。

 

もちろん知人の妊娠にも喜べないし

赤ちゃんの写真も超音波の写真も

直視できずに目をそらして

 

硬い殻に閉じこもって、ほんと貝みたいになっていた。

 

でも、仕方がなかったと思う。

女性にとって子供を産むことは、人生の大大大イベント。

今でも思うけど,

 

結婚する前から

子供が欲しいと思う前から、女性には母性があるんじゃないかと

思う。

 

赤ちゃんを見て、小さな子供を見て、愛おしいと思う

触れたい、撫でたい、抱きたいと思う

守りたいと思う。

 

死産するまでの私は、

社宅の友人の赤ちゃんに頻繁に会いに行っては

抱っこしたり、あやしたり、遊んだり

 

かわいい

かわいいーかわいすぎる!

と溺愛してました。

 
その子が大きくなった今でも

あの頃の気持ちは忘れません。 

 

 

あの免疫療法から間もなく 

私は妊娠しました。

  

最後のチャンスこれで無理ならもう諦めることを決めていたし

それでも希望もありました。

 
心拍が確認できた頃

いつもここでだめになる頃

 

「ここから先、進んだことない。」

 

不安でした。

 

そして

私は実家に帰って安静に過ごすことを決めました。

 

いとこは子だくさん

 

私の親戚、いとこは

 

兄弟そろって

子だくさん。

 

母が「〇〇ちゃん3人目できたらしいよー。また正月が賑やかに

なるねぇー」

っていうのを聞くたびに

本当にスゴイよなぁ・・・って思う。

 

一番上の女の子は現在5人目を妊娠中です。

 

私は5回流産したのに彼女は5人目を妊娠中なんです。

不思議すぎる。

 

何も異常がないのに何で私のお腹では赤ちゃんが育たないんだろ

う。

 

お盆と正月はうちの実家は保育園です。

誰が何を言っているか分からないくらい賑やかです。

うちの母も、流産を経験していて、子供は私一人だけ。

 

なので

お盆、正月は子供たちがたくさん来るから喜びます。

 

そして今でも

「いいねぇ~お姉さん(おばさん)のとこは孫がいっぱいいて

~」

と、たま~にデリカシーのない事を言うときは正直イラ~苦笑

 

入院

 

 

そして

死産ののち5回の稽留流産を経て宿った赤ちゃんは

 

総合病院ではなく

親戚がお産をしたという古い古い小さな婦人科で診てもらうこと

に。

 

あまりしゃべらない男の先生。寡黙な感じ。

初めての診察

超音波で子宮を診た時

「うん。いいじゃないの」

 

一言。

 

念のため、お腹の赤ちゃんにちゃんと血液が届くように、届きや

すいように

血液をサラサラにするアスピリンを服用するように言われまし

た。

 

実家では用心して、食事もリビングまで下りずに、母が自室まで

運んでくれた。

洗面台、トイレは2階にもあるから、お風呂の時にだけ一階に下

りていた。

 

普通は妊娠初期は4週に一度の妊婦検診です。

だけど私は今までのことがあったから週一の検診。

 

間もなくつわりが始まった。

私にとっては、夢にまで見たつわりです。

 

なんか、ドラマで見るのとは違ってた。

私の場合がひどかったのか、食べても吐くことが多かった。

 

そのころ少しお腹の張りがでてきて

ある日少しだけ出血しました。

ほんの一ミリくらい。。。

びっくりして慌てて受診した。

 

超音波での診察のあと

先生は

「赤ちゃんは元気だけど念のため安静入院しようか」

と言いました。

 

不安な気持ちだったけど、でも病院に入院することの安心感も

あった。

 

それから私の安静入院が始まった。

 

トイレと洗面以外はベッド上安静。

 

入浴禁止。洗髪もだめです。

 

お腹に手をあてては

「絶対に絶対に誰にも渡さない」って

 

そればかりを

 

思う日々でした。

 

 

 

読んでくださって、ありがとうございました(●・ω・●)

 


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