仲間と歩く、あみいの日記☆

双極性障害あみいのひとりごと~

不育症・私が子供に出会うまで2

誰でも妊娠したら

普通に子供って産まれるでしょ?

 

そう思っていた時の死産からすぐ、

産婦人科では原因追及のためにあらゆる検査をしました。

染色体検査から、血液凝固系、免疫系すべて。

 

でも異常はどこにもなかった。

原因不明でした。

 

「こういう事も中にはあることだから、次は大丈夫よ」

そんな先生の言葉を信じて

 

それから3か月後、私は妊娠しました。

 

嬉しかったです。

でも内心不安でした。また途中で

お腹の中で死んじゃうんじゃないかって。

 

そして検診の時

不安は現実のものとなりました。

 

稽留流産です。

出血も痛みもないのに、お腹の中で赤ちゃんの心臓が止まってし

まう。気づかない。

多くの場合検診で見つかります。

 

鼻を赤くして、泣くのをこらえて診察室から出てくる姿を見て、

元旦那さんはすぐに気づきました。

 

まただめだった。

私って、妊娠はするのに赤ちゃんが育たない子宮なの?

 

先生は「異常はないんだから次は大丈夫。」

 

医学的根拠ではそうだった。

ただ原因不明。

 

流産の手術は日帰りでしました。

そしてまたあの、激痛とのご対面。

子宮口をごじあけるあの瞬間が私は怖くて仕方がなかった。

 

車で病院へ向かう時

病院が近づくと怖くて何もしゃべれなかった。

 

そのくらい、人生で初めて味わった激痛。

油断したらほんと飛びあがる。声が出る。

本当に痛いんですよあれは。。。

 

そして静脈麻酔ののち、掻爬。

 

その麻酔薬の副作用にて帰りは嘔吐。

車で嘔吐。。。

 

それでもあの頃はメンタルも体も今以上にタフだったのかな・・

それからまた3か月後、自然妊娠。

 

そして

まさかのまた

 

稽留流産→手術。

 

 

それをなんと5回も繰り返した。

こんなことって、あるんだね現実に。

 

 

それでも、私は子供が欲しかった。

今はあるか分からないけど

「赤ちゃんが欲しい!」っていう月刊誌を

毎月買って読んでいた。

 

いろんな症例を見ていた。何度も何度も繰り返し読んだ。

 

ていうかほんと

なんで?

 

妊娠はするのになんでお腹で育たないの?

なんの異常もないのに。

おかしいでしょどう考えても。。。

 

その時はまだパソコンもなくて、ネットもしてなくて

得られる情報は、その月刊誌しかなかった。

近くに同じ体験をした人もいないし、みんな無事に産んでいる。

 

どんなに動いても自転車に乗っても

ぎりぎりまで働いていても無事に産む人はたくさんいるのになん

で?

なんでなんでなんで?

 

それしかなかった。

 

元旦那さんはこう言った。

「痛い思いをしてまでも、挑戦しなくてもいい。

痛い思いをする姿を見たくない」って。

 

「夫婦二人でも仲良く暮せばいいじゃないか」って。

 

ありがたい言葉、うれしかった。

 

でもそれでも、私の頭の中は赤ちゃんのことでいっぱい。

どうにか赤ちゃんが、私のお腹の中で育つ方法はないのか

そればかり考えてた。

 

そんな時、月刊誌 「赤ちゃんが欲しい!」にある情報が。。。

 

隣の県にある、ある産婦人科の情報が記載されていたのを見まし

た。

 

その医師はもう白髪のおじいちゃんですが、

それもそのはず、不妊治療で使う「クロミッド」、という有名な

排卵誘発剤があるんですけど

その薬を開発したドクターチームの中の一人だそうです。

 

それけっこうびっくりしました。

確かにその年だからそうだよねって納得な感じ。

 

私のように流産を繰り返す人を「習慣流産」「不育症」

というんですが、

その治療や不妊治療に力を入れている不妊専門の婦人科でし

た。

 

元旦那に言って受診することに決めた。

 

車で一時間。

ビルの中にある小さな古い婦人科でした。

 

しかもまさかの予約制なし。すごい人。座るところない。

 

何時間も待ってやっと診察の時

そのおじいちゃん先生はゆっくりと時間をかけて話を聞いてくれ

ました。

 

習慣流産、不育症の診断を受けたことを伝えると

 

先生はデスクの引き出しを開けて

中に詰め込んだ莫大な数のハガキを私に見せました。

 

それは不育症で死産してきた人や習慣的に流産を繰り返してきた

患者さんが

そこの婦人科の治療を受けて無事、出産できたというお礼のハ

ガキでした。

 

そして先生は言いました。

「ここで免疫療法を受けた人たちが無事出産できた時のお礼のハ

ガキです。

95%以上の確率で成功してきてます」

 

笑わない先生でした。

もごもご話す感じ。

でも優しい先生だった。

そのお礼のハガキは何故か毎回見せてくれました(笑)

 

その免疫療法しか挑戦することが残ってないのなら

やってみようかというより、もうやるしかないって感じでした。

 

そこで行っている免疫療法は、

パートナーの血液から、リンパ球だけを採取して

それを私に注射して移植していく方法です。

 

パートナーの精子が異物として排除されないように免疫を付けま

す。

 

腕に計20か所、間隔をあけて注射していきます。

一呼吸おきながら刺すとかじゃなく一気に刺していきます。

初めてしたときは「痛い」って言ってしまった。

 

その後ガーゼを当てて、少し休んでから帰ります。

これを期間をあけて計3回。

 

先生は妊娠しやすい状態にしておきたいから、と言って

「通気」という治療を勧めました。

卵管に空気をおくる治療→卵管を広げて精子を通りやすくする治

療です。

 

これも計3回 (涙)

通気治療、苦しいです。空気でお腹がパンパンになる。

でもこれもすべては、未来の我が子に出会うため。

ただそれだけ。

 

受診は不規則で、検査も併せて1日おきの時もあったから

私は一人で電車で通いました。

 

隣の県はわりと都会です。治療が終わった後、街を歩いたり買い

物したり、、、

治療が苦痛にならないように、、、

「今日もこれが終われば買い物ができる!」

そう思いながら通った日々でした。

 

その時に初めて、市電、っていうものに乗りました(笑)

 

 

それから数か月が経ち治療が終了。

 

やっと妊娠の許可が出ました。

 

「これでだめだったら、諦めようね。」

元旦那さんと決めました。

 

そして

最後の挑戦の始まりです。

 

 

読んでくださって、ありがとうございました(●・ω・●)

 


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