仲間と歩く、あみいの日記☆

双極性障害あみいのひとりごと~

ばあちゃん②☆双極性障害☆

こんばんは☆

昨日はダウンしていてお見舞いに行けなかった。

体力づくりのため明日から犬の散歩をとうとうする決断をしたんだけどできるかね。

 

今日病院へ行ったらばあちゃんのベッドの下にマットが。

ああ、転落したんだなあ。

すぐにわかった。自分で柵を外して転落したらしい。

ばあちゃんはやっぱり少し認知が入っていて、今でも歩けると思ってる。

 

毎日、家に帰るという。私のことは分かったり分からなかったり。すでに亡くなっている友達の名前を言ったり、またみんなで集まろうって言ったり。

 

帰ったら自慢のお寿司をつけるからって。

否定したらいけないから「そうだね」って私は言いう。

夕方になってきてまた、家にいのう(帰ろう)って言うから、「今日はもう暗くなるからまた明日にしようね」って笑顔で言う。そんな会話の繰り返しが何度あっても私には愛おしくてたまらん。

 

食事は半介助で全量摂取。血圧の内服OK。

アイスクリームが食べたいらしいから明日買っていく。

明日はチビも連れていく。

事情を息子に話したら、なるべく会いに行きたいと言うから、案外いい子に育ったのかな。。。

 

ばあちゃんは自分の顔を触ったり、足や手を触ったり、「骨と皮。あはは」って。私が行くときは食介完璧にするから大丈夫よ。

 

いまでもわたしに「小遣いやろう」とか言う。

子供と同じように、孫もいつまでたっても子供のままなのかもね。

 

ばあちゃんはずっど動脈瘤が気になって触ってるのがもう癖になっていて、やめられない。「これなんだと思う?」とか「ばあちゃんもう死ぬんじゃろう?」と言われたときも「そんなことないよ」と言うしかない。

 

でも自分ではすべて、解ってるんだよね。本当はね。

 

神様は意地悪。なぜ、他のちょこちょこ忘れていてもいいことは忘れていて、動脈瘤のことは忘れてないのよ?

それさえ忘れていたら、今、24時間、恐怖と闘わなくてもいいのに。どんな気持ちでいるの。

 

母親が仕事へ出かけていたからいつもばあちゃんが育ててくれてた。

ばあちゃんが作ってくれたおやつを美味しそうに食べる私をみてとても嬉しそうに笑っていたあの顔は、今でも忘れられない。

どんな時も味方でいてくれた。編み物も教えてくれたし、何不自由ない生活をおくらせてくれた。

 

私が「今日のご飯おいし~幸せ~」って笑うとばあちゃんがすごく喜ぶ。いま、思い出せば忘れられない事ばかり。

 

孫は私を入れて5人。私が一番下だった。

でも一緒に住んでいたせいか、本当に溺愛してたんだよね。

帰るとき、「また来るからね」っていったら

「○○ちゃんがきてくれるのが一番うれしい」と弱弱しそうに言って手を合わせて「ありがとう」って言うのよね。

 

初日行ったときは、人生ってなんなんだってそればかり考えてたけど

今は少し違って、私じゃない、自分じゃなくて、ばあちゃんは、ばあちゃんの人生について今、何を感じて何を考えているんだろうって思う。

 

もう少しで終わるかもしれない人生に今、何を思ってるんだろう。今日はそればかり考えて、もう涙が止まらん。

訂正←95歳。

 

看護学校の時に老年の先生が言ってた。

その先生は施設にいたんだけど

80歳になっても90歳になっても、それでも「もう十分生きたから死んでもいい」といった人は一人もいなかったそう。

 

いくつになっても人は生きたい。

 

ばあちゃんは自分の歴史を、生きてるんだなあ。

私は父の娘だった。とういことは私の命はばあちゃんがくれた。

せっかくくれたこの命、粗末にしたらだめだよね。

 

でも、もしものことを考えたら向き合えん認められん。

 

でも

明日も会いに行くから。

待っててね。

 

 

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